●第七回神奈川歴史講演会(2022年11月17日)

横浜港のふ頭の歴史と客船たち                                 ~象の鼻から新本牧ふ頭まで~

講師:前横浜みなと博物館館長 志澤 政勝(しざわ まさかつ)氏

 横浜港は幕末1859年の開港より今年で163年となります。当初二本の突堤に過ぎなかったふ頭の歴史はその後、象の鼻~大さん橋~新港~瑞穂~高島~山下~本牧~大黒~南本牧ふ頭などと著しい発展を遂げてきました。その歴史を港を彩った数々の船たちとからめてお話頂きました。市民にとって、港との関わりやその大切さを再認識できるよい機会となりました。

●第六回神奈川歴史講演会(2019年11月14日)

開港前後の横浜 1858~1860年

講師:横浜開港資料館 調査研究員 𠮷崎 雅規(よしざき まさき)氏

 日米修好通商条約はどこで結ばれたのか。いったい誰が横浜の波止場をつくったのかーー。横浜開港に関わる歴史的事実はいろいろなことが知られていますが、いまだに明らかになっていない事柄はまだまだあります。

 本年は横浜が開港した安政6年(1859)から160周年を迎えます。今回の講演では、安政5年(1858)~万延元年(1860)という開港の直前直後の2年間に焦点を絞り、「草創期」横浜の情勢を、初めて明らかになる事実も交えながら、わかりやすく講演頂きました。

●第五回神奈川歴史講演会(2018年11月8日)

戊辰戦争下の相模―箱根戦争と海軍のゆくえ―

講師:東海大学非常勤講師 神谷 大介(かみや だいすけ)氏

 慶応4年(1868)正月3日、鳥羽・伏見の戦いが始まり、戊辰戦争の火ぶたが切って落とされました。戊辰戦争の戦火は相模にも飛び火し、5月26日には旧幕府遊撃隊と小田原藩との間で箱根戦争が勃発します。「江戸無血開城」が果たされたとはいえ、相模に平和がもたらされたわけではありませんでした。講演では海軍副総裁榎本武揚率いる旧幕府海軍の動向も視野に入れながら、箱根戦争の展開過程についてご講演いただきました。

●第四回神奈川歴史講演会(2017年10月10日)

大山信仰の諸相と大山道

講師:伊勢原市文化財保護審議会委員 川島 敏郎(かわしま としろう)氏

 江戸時代、多くの庶民が大山詣りに出かけましたが、安政元年(1854)の大火事や関東大震災による被害によって、多くの貴重な史料が失われたため、古代から近・現代まで通観した大山に関する歴史書は現存しません。地元に残る数少ない古文書の解読や、大山寺塔頭・養智院の心蔵が著した「大山不動霊験記」(全15巻)に描かれた霊験譚などの内容分析を通じて 、良弁・願行上人・徳川家康・権田直助などの大山寺や大山阿夫利神社との関わり、鋳物師・木太刀の名が居住した江戸・神田との縁など、大山詣りの諸相について興味深いお話しをご講演いただきました。ご講演終了後は川島先生のご著書サイン会も行われました。

●第三回神奈川歴史講演会(終了しました)

「浮世絵で巡る神奈川の物見遊山」ー北斎・広重の浮世絵からー(2016年11月4日)

 江戸時代、社会の安定と経済の発展により、お伊勢参りをはじめとした物見遊山の旅行が庶民の間で盛んになってきました。それとともに名所を紹介する浮世絵や道中記などが多く出版され、庶民の旅心を大いに刺激し楽しませたようです。当時の神奈川も江戸から近いこともあり東海道中、金澤八景、江の島、大山詣でなどが名所絵として多く描かれました。葛飾北斎や歌川広重(初代)など、神奈川県立歴史博物館が所蔵する浮世絵コレクションの名品から「相州大山 ろうべんの瀧」「金沢八景 称名晩鐘」「江の島 岩屋之図」「箱根七湯廻」など神奈川県の観光地を描いた浮世絵について、ご紹介・解説いただきました。

講師:神奈川県立歴史博物館 主任学芸員 桑山 童奈(くわやま どな)氏

●第二回神奈川歴史講演会(終了しました)

 「開国への決断―老中・阿部正弘の選択」(2015年10月28日)

幕末、天保の薪水給与令を改め、異国船打ち払い令の復活を計画するなど、「鎖国」強化を計ろうとした老中・阿部正弘が、いつの時点で開国へと方針を転換していったのか。当初海防参与として攘夷派を代表する徳川斉昭を閣内へ迎えたにもかかわらず、ペリー来航を機にこれを排し、開国派堀田正睦を老中に復帰させた人事政策を軸に、お話を聞きました。

”優柔不断”と評される阿部正弘は、いかに「開国」を決断したのであろうか?

開国か、攘夷か。諸大名との意見調整、困難な外交交渉。阿部正弘は開国へと傾斜していく・・・。


講師: 神奈川県立歴史博物館 主任学芸員 嶋村 元宏(しまむら もとひろ)氏

●第一回神奈川歴史講演会(終了しました)

「江戸時代の旅と東海道」(2014年11月14日)

 江戸時代の旅は、戦乱が収まり生活が安定してくるのにともない、お伊勢参りや富士講、大山講など物見遊山の旅を中心に、庶民の間に広がっていきました。そして「東海道中膝栗毛」に代表される道中記や歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」などの出版がそれまでにも増して、人々の旅への気持ちを駆り立てました。東海道の整備を行った江戸幕府と徳川家康の狙いはどこにあったのか、専門家にお話を聞きしました。

講演される神奈川県立歴史博物館の古宮 雅明学芸員
講演される神奈川県立歴史博物館の古宮 雅明学芸員

 東海道は当初、軍事上の目的で開削されました・・・・。神奈川県立歴史博物館の近世専門学芸員、古宮雅明先生の講演は、徳川家康が東海道を開削した目的から、弥次さん喜多さんでお馴染みの「東海道中膝栗毛」など道中記の話まで、話題が満載でした。

 東海道宿駅制度の目的、意義、概要そして庶民の娯楽の中心となった旅の話題について楽しいお話しをお聞きしました。