2月4日(火)・7日(金)                   天平の足跡を訪ねて~古代歴史ロマンが息づくまち・海老名   (終了しました)

 

神奈川県のほぼ中央に位置する海老名市は東京から50㎞、横浜からは20㎞圏内で高速道路の海老名サービスエリアがあり、海老名駅には、JR相模線・小田急線・相鉄線の3線が乗り入れ、ビナウォーク(2002年)やららぽーと(2015年)などがあり近年ベッドタウンとして注目を集め開発の進んでいる地域です。しかしその歴史は古く、縄文時代より肥沃な耕地であったことが知られていて国分には「瓢単山塚」上今泉には「秋葉山塚」上郷には「有鹿の丘」などの前方後円墳や円墳があり、奈良時代には相模国の国分寺がおかれていました。海老名市の「郷土かるた」を楽しみながら天平の足跡を巡りました。

 

国分寺七重塔モニュメント
国分寺七重塔モニュメント

   海老名中央公園・七重塔モニュメント

 ショッピング街ビナウォークの真ん中にある公園、中央の一角にある七重塔は相模国分寺にあったとされる物を模した実物(65m)の約1/3のスケールで作られたモニュメント

 

音坂
音坂

② 音坂

 大山道の一部で国分宿の出口、音坂を登り切ったところに旅人相手の旅籠や料亭があり、そこで使われていた井戸の水を汲み上げる音が坂に響き渡ったことからこの名前がついたといわれています。

 

大ケヤキ
大ケヤキ

③ 大ケヤキ:郷土かるた け 「県央にさすが海老名の大欅」

 樹齢580年前後と推定されている巨木。この大ケヤキは相模湾が深く内陸まで入り込み、この辺りが入り江になっていた頃に漁師が船をつなぐために打ったケヤキの杭が根付き、枝を張って成長したとの伝承があり、「逆さケヤキ」とも呼ばれています。

 

相模国分寺
相模国分寺

④ 相模国分寺:郷土かるた る 「瑠璃光の如来あらたか薬師堂」

 高野山真言宗・本尊:薬師如来

 『新編相模国風土記稿』では山号を東光山といい、総持院(市内河原口)の末寺とされています。本尊は薬師三尊像で、中尊の木造薬師如来立像は作風から室町時代南北朝期(14世紀後半)に造像されたと考えられています。

また、平安時代から鎌倉時代の作風を模して江戸時代前期に造像されたと考えられる木造不動明王座像、享保20(1735)年に造像された木造大黒天立像等が安置されています。天平13741)年のいわゆる「国分寺建立の詔」によって創建された相模国分寺の法灯を継いでいる市内屈指の古刹です。

国分寺銅鐘(重要文化財)
国分寺銅鐘(重要文化財)

〇国指定重要文化財・国分寺・銅鐘:郷土かるた つ 「釣鐘は国分季頼の銘残す」

 中世海老名氏の一族である国分季頼が正応5(1292)年に国分尼寺に寄進したもの、作者は銘文から鎌倉円覚寺や金沢の称名寺などの梵鐘を手がけた名工物部国光とされています。

 

尼の泣き水供養碑
尼の泣き水供養碑

〇尼の泣き水供養碑:郷土かるた わ 「若き尼の恋物語尼の泣き水」

 天保12(1841)年に編纂された『新編相模国風土記稿』にも「蜑泣き水」として紹介されています。処刑された「あま」には、尼さんの尼と漁師の蜑の2説があります。もとは海老名小学校の上の台地にあって昭和40年頃まで清水が湧き出していたそうですがいつとはなく枯れてしまったそうです。供養塔が建てられていましたが、現在は国分寺境内に移されています。

 

 ⑤ 海老名市温故館:郷土かるた と 「土器石器瓦や板碑温故館」

温故館は相模国分寺跡が国指定史跡となった大正10(1921)年に海老名小学校の校庭に建てられた遺物陳列館がその始まり、現在の温故館は昭和571982)年に旧村役場建物(大正7年に建築)を利用し海老名市立郷土資料館として開設され、考古・歴史・民俗の各資料を収蔵・展示しています。平成元(1989)年には「神奈川の建物100選」に選ばれました。大山道沿いの国分バス停付近にありましたが、耐震問題などから平成23(2011)年に現在地に移転・再築されました

              【温故館と学芸員のガイド風景】

 ⑥ 国指定史跡・相模国分寺跡:郷土かるた て 「天平の礎石が語る国分寺」

 天平13(741)年の「国分寺建立の詔」によって建立された寺院跡です。諸国国分寺でも珍しい法隆寺式伽藍配置で、発掘調査によって東西240m・南北300m以上という広大な寺域で会ったことがわかっています。塔・金堂・講堂跡には礎石と基壇が残り、北・南面廊跡・僧坊跡・鐘楼跡・経蔵跡や大型建物跡などが発掘調査により確認されています。創建年代は出土した瓦や土器などから8世紀中頃と考えられています。江戸時代の『新編相模国風土記稿』にも記載されるほど古くから知られる遺跡です。大正10(1921)年に国指定史跡となりました。現在、塔基壇などが復元整備されて公開されています。

 

                 【相模国分寺跡アラカルト】

逆川・船着場跡
逆川・船着場跡

⑦ 逆川・船着場跡:郷土かるた ん 「運河では相模最古の逆川」

 逆川は人工の水路といわれ、市立杉本小学校付近から目久尻川の水を取り入れ伊勢山の南側を回って国分寺の東側を流れ国分尼寺跡西側の小谷戸から海老名耕地に注いでいました。発掘調査により平安時代以前に作られ船着場と推定されるような遺構も確認されていることから運河のような役割もあったと推定されています。国分付近では目久尻川流域の低地である南から台地上の北へ流れていることから「逆川」と呼ばれるようになったとされています。昭和40年代までは水が流れていましたが次第に埋め立てられ、ごく一部の地形などにその面影を見ることしかできなくなりました。

 

中山毎吉領徳碑
中山毎吉領徳碑

⑧ 清水寺公園・中山毎吉頌徳碑:郷土かるた き 「郷土史の道をひらいた中山翁」

 清水寺公園は春には龍峰寺の参道を覆う桜の大木が見事で毎年桜祭りが開かれます。近くには海老名村が大正15(192)年に建立した国分寺跡保存と温故館の父

 中山毎吉(18681942)の頌徳碑があります。

 

 ⑨ 龍峰寺

 臨済宗建長寺派・本尊:木造釈迦如来坐像 開山・開基:圓光大照禅師『新編相模国風土記稿』では山号を瑞雲山、建長寺(鎌倉市山ノ内)の末寺とされています。元々は現在の海老名中学校付近にありましたが昭和4(1929)年に現在地に移転しました。室町時代南北朝期に創建されたと考えられています。境内には旧清水寺の観音堂や仁王門・仁王像があります。観音堂には旧清水寺の本尊である木造千手観音立像や前立の木像千手観音立像・木像大権修理菩薩坐像などが安置されています。

 

〇国指定重要文化財・清水寺・千手観音立像:郷土かるた せ「千手観音仁王が守る清水寺」

 

カヤ材の一木造りで像高は195㎝、十一面四十二臂の千手観音菩薩立像で、脇手の一組を頭上で組んで化仏を置く清水寺(京都音羽山)式千手観音と呼ばれる様式です。彫りや天衣の表現に平安時代的特徴が見られますが面貌の写実的表現や玉眼嵌入は鎌倉時代末期に修復もしくは古い像に倣って再興されたと考えられています。

 

   【仁王門】          【観音堂】         【千手観音収蔵庫】

 ⑩ 弥生神社:郷土かるた や 「弥生神社は四つの村の鎮守様」

 明治42(1909)年に国分の八幡社(祭神・誉田別命)・上今泉の比良神社(祭神・猿田彦命)柏ヶ谷の第六天之宮(第六天社・祭神・高産霊命)・望地の大綱神社(祭神・日本武尊)の四社を合祀して造られました。

              【弥生神社とそこからの遠景】

 ⑪ 国指定史跡・相模国分尼寺:郷土かるた に 「尼寺跡に庚申塔とひがん花」

 天平13(741)年の「国分寺建立の詔」によって建立された寺院跡です。発掘調査によって金堂跡・経蔵跡・鐘楼跡・廊跡などが見つかっています。出土した瓦や土器から8世紀後半頃に完成したと考えられています。『新編相模国風土記稿』にも記載されていて、金堂や講堂・中門等の土壇が残っていて遺構の保存状態が全国的に見ても良好であることから平成9(1997)年に国指定史跡となりました。

 

              【相模国分尼寺跡アラカルト】

浅井の水
浅井の水

⑫ 浅井の水

 鎌倉時代に清水寺が再興された時に堂前から清水が湧き出したことから清水寺の寺名になったと言い伝えられています。中央には水神塔が祀られています。冬場の渇水期以外は水をたたえており、永池川の源流とされています。清水寺は江戸時代に東の丘に移転しましたが、このような由来から地元の人は今でも清水寺本堂(龍峰寺観音堂)を水堂と呼んで親しんでいるそうです。昭和35年頃に水道が引かれるまでは周辺の家の生活用水として利用されていました。

 

               【お疲れさまでした】

          【内出稲荷の梅と近くの農家の無人野菜販売】